明治の彦根に水車が回る―「青天を衝け」と彦根製糸場―

 高橋卓也(滋賀県立大学)
 滋賀県彦根市に住んでおり、メタボ対策の散歩で近所の川の横を通ることがある。3~4mくらいの幅で、昔は水田の間を流れていたのだろうが今は住宅地の中だ。一度だけだが、カワセミが飛んでいるのを見たことがある。

高橋1.jpg近所の小川(彦根市平田川)
(筆者撮影 2021-8-31)

 

 以前、彦根城博物館で「彦根製糸場(せいしば)―近代化の先駆け―」という企画展があった(彦根城博物館、2018)。そこでびっくりしたのが、その近所の川沿いに製糸場があって、水車を動力としていたということだった。それほど大きな川とも思えず、流れているのも平らな土地なので、工場の動力として使えたのだろうかと頭をひねった。

 彦根製糸場は、明治111878)年に現・彦根市に滋賀県で初の器械製糸工場として建設された。もともとは、旧彦根藩士族が殖産興業と士族授産を目的として計画した後、滋賀県が県営事業として開設した。明治191886)年には旧彦根藩主の井伊家に払い下げられた。

高橋2.png

洋風器械の図 明治9年(1876

滋賀県公文書館 【明さ100(1)】


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製糸場操業ノ図(『犬上郡誌』) 明治14年(18811

滋賀県公文書館(滋賀県蔵)



 近代的製糸業といえば、世界文化遺産の富岡製糸場(せいしじょう)だが、彦根の製糸場とも関係がある。明治5(1872)年設立の富岡製糸場では、近隣(群馬、長野、埼玉)から工女を募集していたが、明治78年には多くが辞めてしまった。そのため、明治9年に100名以上の彦根出身者が工女として富岡に送り出された(注1)。なかでも、彦根藩士・遠城謙道(注2)の妻・繁子は、初代製糸場長の尾高惇忠(注3)に見込まれて、工女取締役に任命された。富岡で経験を積んだ工女が彦根にいたことも、彦根製糸場開設の動機といわれている。ところで、2021NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は尾高惇忠とともに富岡製糸場の設置主任だった(群馬県、2021)。

 さて、本当に水車が使われていたのかどうか。水車からの出力は下記の式で計算できる。(書籍で数式が出てくると、売り上げが確実に減るとのこと。しかし、ここでブラウザーを閉じないようお願いします。)

 Pt = P0 × ηt = 9.8QHeηt

 Pt:水車出力、P0:理論出力、ηt:水車効率、Q:水量、He:有効落差

 川の水流部分の断面積が0.9m2、流速が0.625m/sと考えると水量Qは、0.56m3/s。昔、製糸場があった場所の現在の標高差は1mくらいなので、有効落差は1mと考えた。水車効率は、文献(藤原ほか、1986)などから数値をえいやっとひねり出して0.4とする。

そうすると、

 Pt = 9.8QHeηt = 9.8×0.56×1×0.4 = 2.2 (kW)

 さて、これで製糸場の動力をまかなえたかどうか。富岡製糸場では蒸気エンジンを使っており、その馬力数は17.5馬力だったとのこと。蚕の繭から生糸を採る釜の数(富岡約300、彦根48)から、彦根の製糸場の規模は富岡の6分の1だとすると、17.5÷6=約2.9馬力が必要だ。キロワットに換算すると、2.9×0.74(kW/馬力)=約2.1kW。上で計算した2.2kWでなんとか足りるのでは、という感じだろうか。


高橋4.png

加州金沢製糸場之図(かしゅうかなざわせいしじょうのず)(外観)

(石川県立歴史博物館蔵)

※ 同時期に建設された金沢製糸場。建物の中を通る水路で水車が動いていたと思われる。水は鞍月用水を使用していた。


高橋5.png

加州金沢製糸場之図(内観)

(石川県立歴史博物館蔵)

※ 奥にあるのが水車で、そこからベルトで動力が伝えられ、工女の後ろにある糸車が回されていたと思われる。


 彦根製糸場の生糸は、海外にも「城印」「亀印」などの商標をつけて輸出された。「亀印」は、彦根城が「金亀城」とも呼ばれることからきたのだろう。

 結局のところ、設立から25年後、彦根製糸場は明治351902)年に廃止される。理由として挙げられているのは、火災や相場の暴落等による損失だとされている。もしかすると、動力不足も一因かもしれない。水車は明治を通じて、製糸業の動力として活躍し続けた。その中心地は、岐阜県飛騨、長野県一円、山梨、静岡、新潟、福島の各県の一部だったようだ(末尾、1957)。これらの地域では、蒸気機関を使わずに水流から動力を得ることから来る利益(「落流地代」)を得ることができる(森滝、1980)。上記の計算のように彦根製糸場では動力のポテンシャルは小さかったように思える。そうした利益の下支えが小さな彦根では、水力による製糸は相対的に不利だったのかもしれない。

 ここまで見てきたことは単なる懐古趣味ではないと考えたい。「スモール・イズ・ビューティフル」「適正技術」を提唱したE.F.シューマッハーとともに活動したピーター・N・ギリンガムは、シューマッハーに共鳴する人びとに対して、実際の行動を支える構想力を培うことを勧めている(シューマッハー、2011)。その具体策として次の4つを挙げている。(1)地方史を掘り起こす、(2)民間伝承・農村の技術を伝承する、(3)「産業考古学」、一昔前の製粉所や工場を復活する、(4)産業技術史の専門知識。

 彦根製糸場について考えるのは、仮想的ではあるが昔の製糸場の「復活」であり、地域の資源について考えるヒントともなるのではないだろうか。

 なお、水力の出力計算は、あくまで素人仕事なので、みなさんのご意見をお待ちしております。(ブログのコメント欄にご記入いただくか、メールをください。→ taka.takuya(アトマーク)gmail.com まで)


(注1)明治6年から明治17年にかけて官営富岡製糸場への工女の入場数は、地元の群馬が708人であるのに対し滋賀が737人。

(注2)遠城謙道(おんじょうけんどう)。18231901。世田谷豪徳寺にある井伊直弼の墓を慶応年間から明治に至るまで守り続けた。

(注3)尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)。18301901。渋沢栄一のいとこ。2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主要登場人物。

  • M氏に原稿を見ていただき、ご意見をいただきました。ありがとうございます。

(参考資料)

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