水資源・環境学会研究大会が6月8日に開催されました

 
水資源・環境学会 理事 松優男

 2019年度 水資源・環境学会 第36回研究大会が、6月8日に京都府長岡京市の長岡京駅前にある長岡京市中央生涯学習センター バンビオで開催されました。研究大会のテーマは「異常気象における水害問題を考える」と題して行われました。午前中には自由論題として4題の発表があり、午後はテーマ報告として2題、基調講演として2題の発表の後、総合討論が行われました。テーマ報告では、滋賀県立大学の平山 奈央子さんから「地域コミュニティにおける水害対策の10年前との比較-滋賀県内の全自治会を対象としたアンケート調査より-」、愛国学園大学の梶原 健嗣さんから「都市型水害とその政策的対応」と題して発表がありました。基調講演では、京都大学防災研究所の山口 弘誠さんから「リアルタイム豪雨監視と気候変動下における豪雨の将来変化」、放送大学の磯部 作さんから「岡山県における西日本豪雨災害の状況と課題―ダム放流問題などを中心に―」と題して講演がありました。

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 研究大会の結果は次号のニュースレターに掲載されますが、山口さんの講演では、地球温暖化等による豪雨の頻発化、激甚化が進行していますが、インフラの整備水準などの適応策の時間スケールを考えると、今すぐに適応策の対応をとらなければ、地球温暖化の進行速度に追いつかないと説明されたのが印象的でした。また、総合討論では、災害に対する対策として危険な地域には住まないといった土地利用の制度の充実が不可欠といった意見が多く出されました。
 研究大会の後には総会が開催され、2018年度の決算、2019年度の事業計画、予算案が承認されました。また、学会奨励賞が平山 奈央子さんに贈られました。さらに、夏季現地研究会について、野村克己理事から案内がありました。今年の夏季研究会は「 台湾で今も活躍する環境型地下ダム-鳥居信平の設計思想に学ぶ -」であり、台湾・高尾近郊の地下ダム・二峰圳の、計画から実現まで生涯をかけた土木技術者・鳥居信平の事跡を重点的に調査・研究する計画となっています。
 総会の後は、バンビオ6階の配膳試食室において懇親会が開催されました。今回の懇親会は長岡京駅前にあるスパーマーケットでお総菜やおつまみ、飲み物を買い出しに行き1人1500円の会費と格安で開催することができ、楽しく懇談することができました。
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森は海の恋人!

立命館大学特別任用教授 小幡 範雄


森・川・海のつながり
 海と森の関係をあらわす言葉の 1 つに、「森は海の恋人」というものがある。これは1989 年、宮城県北部の気仙沼市で漁業に携わる畠山重篤氏が提唱した「森は海の恋人運動」に端を発したものである。漁業者の間では、古くから「森を大事にすると海にも良い」という認識はあり、漁業協同組合が植林活動を実施してきた事例が、少なくとも1980 年代後半から存在している。
 畠山が漁業活動の場とする気仙沼湾では、1960年代後半から赤潮の発生がみられるようになった。背景には、海に流れ込む河川などからの水の汚染などがあると考えられている。赤潮の発生により、カキが赤く変色してしまい、商品にならないなどの問題も発生した。1個のカキは呼吸のため1日200リットルもの海水を吸っているといわれている。水と一緒に吸い込んだプランクトンがカキの餌となる。赤潮プランクトンを吸ったカキの身が赤くなり、全く売り物にならず廃棄処分される。

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図1 森川海における物質循環と人との関わり(環境省、2010年)


 気仙沼湾に注ぐ河川の上流域である岩手県室根村の森は、針葉樹である杉の単一種になっており、間伐などの手入れが適切に行われていないため、ひとたび雨が降ると赤茶けた土を含んだ水が気仙沼湾へと流れていく状態にあった。畠山は、室根村の村長に対し、「川の源流に漁民の森を創れば、森川海が一つであることを流域に住む人々が理解してくれるのではないか」という想いを打ち明けた。すると村長も共感し、町内の室根山の一角を植林地として提供してくれた。1989年9月、大漁旗がひるがえるもと、気仙沼の漁師と室根村の人々が協力して植林が行われた。以降、ブナなどの広葉樹の植林が進む。1990年には、室根村の小学生を対象とした、気仙沼湾でのカキ養殖作業体験プログラムを実施。それまで海には「海水浴で年に1度行くくらい」という子供たちの意識を変えた。現在でも毎年6月に植樹祭が行われている。

宮城県南三陸町の森づくり
 2014年度から2018年度の5ヵ年で、現在、環境省/環境再生保全機構からの受託研究「環境研究総合推進費 (S-13)『持続可能な沿岸海域実現を目指した沿岸海域管理手法の開発』」に対し、立命館大学を含めた 13 の大学・研究機関と協力して研究を進め、本年度で終了となる。この研究プロジェクトでは、日本の沿岸海域の中でも、瀬戸内海、三陸、日本海(本州中部沿岸を中心としたエリア)の 3 海域を重点対象として設定している。立命館大学のグループでは、沿岸海域の持続可能な発展というテーマもあり、私たちは現地の漁業協同組合・森林組合などの協力を得て、林業者、漁業者を対象とした意識調査などを行ってきた。
 ここでは、この成果の一部を踏まえて、宮城県南三陸町を中心に、森・川・里・海の一体的管理について考えてみたい。南三陸町にも海と森をつなぐプロジェクトがある。森林がある。南三陸町全体の面積(163.4平方キロメートル)のうち、約77%が森林である。これを管理運用しているのが南三陸森林組合である。漁協とのかかわりは深く、協力体制は、20年以上前から町内上流域の山林で植林活動を実施している。東日本大震災の発生時には、組合事務所の一角を漁協の仮事務所として提供した。「同じ町内にあるもの(組合)として、協力し合うのは当然」と、森林組合担当者は当時のことを語っている。志津川湾には8つの河川の水が流入するが、その河川全てが南三陸町内だけで完結している。最初に取り上げた気仙沼の事例とは異なる(複数の市町村にまたがらない)ものであり、珍しい部類に入る。

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写真1 志津川湾を守るための植林活動


 こうした環境に配慮した事業活動の取り組みが評価され、2015年秋には南三陸森林組合を含めた町内の関係組織が森林管理協議会(FSC)の認証を取得した。また、2016年春には、後で述べるASCとあわせ、南三陸町は環境に配慮した林業・漁業という観点で、トップランナーであるといえる。
 2017年3月の意識調査では、地区総代の方を対象とし、51名から有効な回答を得ることが出来た。専業の人はおらず、漁業を兼業の業種とする人も約20%いる。
 「森・川・海を一体的に考えることの意義」について尋ねたところ、「大いに意義がある」が全体の66%を占め、「ある程度」を加えると、90%に達した。
 2015年に取得した環境認証「FSC」についての印象を尋ねたところ、好意的な意見が60%を占めた。ただし、そのうち半分を超える人が「自分たちの活動に制約が出ないかという不安がある」という選択肢を選んでいる。また「その他」には「FSCの基準に縛られると、かえって環境に悪影響を与えるのではないか」という意見も少数ながら存在した。

漁業協同組合の活動とカキの国際認証
 これからは森から海に出てみよう。宮城県漁業協同組合・気仙沼総合支所の傘下に属する「志津川支所」の所管エリアとなっている。組合員数は約700名弱(正組合員は4割弱)、販売高は約43億円と、宮城県内でも有数の規模である。宮城県の漁業協同組合(漁協)は、2007年~2009年にかけ県内35漁協のうち、33が合併して「宮城県漁業協同組合」となっている。宮城県本吉郡南三陸町(2005年に志津川町と歌津町が合併して発足)においては、2007年までは旧・志津川漁業協同組合の所管エリアとなっていたが、現在は、旧志津川町内については志津川支所となっている。

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写真2 志津川湾の沿岸養殖


 志津川支所は、南三陸町地方卸売市場の隣接地に2016年9月に再建された本所と、志津川湾南側の戸倉地区にある「志津川支所戸倉出張所」の2拠点を有する。旧・志津川漁業協同組合は、1949年に発足した。1975年、志津川湾においてギンザケの海中養殖を宮城県内で初めてスタートさせ、ピーク時の1980年代後半には、宮城県全体で国内生産量の90%を占めるに至った。しかし、安価なチリ産の輸入量が増加したことで生産量は激減したうえに、2011年の東日本大震災で養殖施設に壊滅的な被害が出た 。しかし関係者の努力により、ギンザケやホタテなどの取り扱いは徐々に回復がみられ、特にギンザケは2014年度に震災前の水準に回復し、その後増加傾向にある。
 ただ、ウニに関しては磯焼けなどの影響でいまだに取扱量が少ない状態が続いている。また、ホヤに関しては、最大の取引先であった韓国が東日本大震災以降禁輸措置を継続しており、結果水揚げしても廃棄するというケースが多くなっている。

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図2 志津川支所の主要産品取扱金額の推移


 カキについては震災前に比べて震災以降大きく減少していた。宮城県南三陸町戸倉地区は、震災前、志津川湾南側には、約1,000基のカキいかだが存在したが、過密状態にあり、出荷可能なサイズに成長するまで2~3年かかっていた。震災ですべてのカキいかだが流失し、その復旧を行う過程で、戸倉出張所(当時)とかき生産部会は連日の協議の上、海の環境への大きな負担が問題視されていた過密なカキいかだの数を3分の1以下に削減することを決めた。結果、海の栄養が牡蠣一粒一粒に行きわたりやすくなったことで生育期間も短くなり、カキは1年で出荷可能なサイズに成長し、カキそのものの数も減ったことで、水質も改善された。

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写真3 カキ養殖と採取の現場

 この適正なカキ養殖の実現によって、2016年3月には国際機関「水産養殖管理協議会(ASC)」の認証を日本で初めて取得した。養殖事業による海洋汚染や農薬の河川流出などを防ぎ、多様な生物がいる生産の場のある豊かな海を目指さなくてはならない。乱獲せずに捕獲した天然魚や、餌で海を汚染しないように育てられた養殖魚について、厳しい審査を経て認証する制度である。認証マークは海のエコラベルとも呼ばれ、漁師や漁業組合など漁業者が審査を受ける。過剰な漁獲をせず、枯渇状況にある種では回復させる漁法を採用、生態系の多様性・構造を維持して漁業をするといった点が求められる。認証を受けたカキの販売を促進する活動も生まれてきている。

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写真4 ASC認証を受けたカキの販売(イオン)


 なぜこのようなことが可能になったのか。やはり過密になった養殖業に対する環境負荷という意識の変化があったのであろう。震災前は多くの収入を得たいがために多くの養殖を求める。結果として海の生産能力を超える養殖施設が作られ、結果としてカキの成長や品質が低下してきた。このことに激論の末、気づいたといえる。
 意識調査結果で、沿岸域の保全に対するスタンスを尋ねているが、「例え漁業活動が縮小されても優先すべき」という回答が半数近くとなり、「現在の漁業活動が増大するように」の3割を大きく上回った。「現状のままでよい」という回答が2割ということが示すように養殖密度は過大であったとの意識があったのである。さらに、志津川湾において藻場の保全・再生や、森・川・海の一体化などに取り組むことが、南三陸町(志津川湾)を、サステイナビリティという視点で評価したとき、どの程度影響を与えるかという質問にも、「大いに影響がある」・「ある程度影響がある」という回答が76名(全体の85%)に達していることも背景にあると思われる。
 宮城県との共同研究で実施したカキ養殖業のライフサイクルアセスメントでは、震災後のカキの単位収量は1.2倍に増えた一方、燃料消費や投入する資材も減少していたことから、CO2の排出量においては震災前との比較で約3割の削減効果があることが証明された。また、カキの身入りが改善し、甘みも向上し、施設を減らしたことで労働時間の短縮にも繋がったといる。

森・川・里・海の一体的管理によるコンパクトシティ
 南三陸町では図に示すような森・川・里・海の一体的管理で持続可能な街を目指すバイオマス産業都市構想(南三陸町、2013年)がある。
 その構想によれば、南三陸町は森里海がコンパクトに凝縮されているが、それらを個別に取り上げてみれば、どれも大規模化や効率化の面では条件が不利であると思われる。しかし、それらを相互に関係付けて複合的に捉えてみれば、森里海そして街の持つ資源ポテンシャルが浮かび上がってくる。
 森の林地残材は、農業や水産業や暮らしを支える安定的なエネルギーになる。よく手入れされた森はミネラル豊富な水を育み、豊饒の海を作る。水産加工業等から出る有機系残さや、農産物の皮などの食品残さは、バイオガスや液肥の原料になる。町で暮らす人間の身体を通って排出されるし尿もバイオガス施設のメタン菌の食料となる。バイオガスプロセスから生成される液肥は、農地に環境保全型の有機質肥料として還元される。そして、美しく手入れされた里山、環境が保たれた里地、豊かな恵みの海は、豊かな時間(体験・滞在)を求める人々を惹きつけるとされている。

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図3 南三陸町バイオマス産業都市構想の全体イメージ
(出典:南三陸町作成「南三陸バイオマス産業都市構想」P18掲載図)


 ASC認証を受けたカキを1つのきっかけとして、志津川という地域のサステイナビリティを向上させる動きへつなげていくには次のような素地を活かしていくことが重要である。
・山と海のツアー、木製チップを利用したカキの燻製などが実施されている。
・地元の森林組合(南三陸森林組合)も、2015年秋に環境に配慮した事業活動の取り組みが評価され、森林管理協議会(FSC)の認証を取得している。
 これらの試みを統合して森里海の資源ポテンシャルを活かして行くことが重要である。
 志津川湾において藻場の保全・再生や、森・川・海の一体化などに取り組むことが、南三陸町(志津川湾)を、サステイナビリティという視点で評価したとき、どの程度影響を与えるかという質問にも、「大いに影響がある」・「ある程度影響がある」という回答が76名(全体の85%)に達していることも背景にあると思われる。南三陸森林組合でも、同様の設問を行ったところ、「大いに評価する」・「ある程度評価する」が全体の96%に達している。
 川の流域に暮らす人々と、価値観を共有しなければ、きれいな海は帰ってこない、まさに森は海の恋人である。
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地下水をめぐる「株」のお話

大阪府立大学現代システム科学域 遠藤崇浩

 学会および関連会議にほとんど参加できていない私ですが、せめてもの罪滅ぼしにこの一文を執筆致します。タイトルにあるようにここ数年、地下水の「株」をめぐる研究を行っています。何やらこのように聞くと怪しげな世界に足を踏み入れているようですが、とても面白く抜け出せなくて困っております。
 このお話の舞台は木曽三川下流部にある輪中地帯です。水に関する研究者の間には輪中=治水問題という思いが広まっていると思いますが、実は地下水をめぐって大きな争いがありました。
 輪中といえば四方を堤防でぐるり囲んだ集落を思い起こす方も多いでしょう。洪水から身を守るために江戸時代以降に徐々に形成されたと言われています。確かに水害防止には大きな効果を発揮しましたが、堤防で周りを囲んだため外部から水を取り入れにくくなるというジレンマが発生しました。そこで登場したのが堀抜井戸です。輪中地帯にはかつて広大な自噴地帯がありました。地元の人は自噴井戸を掘ることで治水と利水のジレンマ解消を試みたのです。

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写真1 岐阜県輪之内町(旧福束輪中)の輪中堤


 ところがこれには一つ落とし穴がありました。輪中地帯は北高南低の地形をしています。一つの輪中内部でも同様で、北部の村々は少し高いところに、南部の村々は少し低いところに立地していました。堀抜井戸は北部の村々で掘られたのですが、その排水が南部の村々に溜まり農業に悪影響が出始めたのです。堤防で周りを囲まれているうえ、電気ポンプなどない時代でしたから、南部の村々は排水に困ります。ここから井戸を欲する北部と南部で争いが起きました。一部の輪中ではこの争いは100年以上も続き、時には南部の住民が北部の家々を襲う暴動まがいの事態もあったそうです。
 そこで北部と南部で井戸を規制する約束が交わされました。そこの骨子は①井戸の総数に上限をかける、②井戸に課金する、③集めたお金は南部の排水施設の充実化に用いるというものです。こうした仕組みは江戸時代から次第に形成され、明治期になると「株井戸」と呼ばれました。ここでいう株とは一部に特別に認められた権利という意味です。相撲の「親方株」という言葉を思い出すと理解しやすいと思います。一部に特別に認められるということは、それ以外は認められないということなので、規制の存在と表裏一体です。つまり株井戸とは井戸の掘削規制と理解できます。
 学術用語を使えば、株井戸は井戸掘削をめぐる外部不経済を内部化する制度といえます。とても面白いのはこうした仕組みが藩政府の強制ではなくて住民同士の自治によって創設・運営されていた点です。いわゆるコモンズ論の世界です。株井戸の研究は輪中の郷土史家を中心に行われていたのですが、1960年代でほぼ動きが止まってしまいました。私のねらいは当時存在しなかったコモンズ論の知見を用いて、井戸の掘削規制が本当にうまく機能したのか、機能したならばその理由は何なのかを明らかにすることです。こうした作業を通じて株井戸を日本における地下水管理制度の先駆的事例として再評価したいと考えています。

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写真2 岐阜県輪之内町(旧福束輪中)に今なお残る自噴井



水資源・環境学会ウェブサイト http://www.jawre.org/