伊川谷掘割のこと

矢嶋 巌(神戸学院大学)

 江戸時代になると、幕府や藩が用水路をつくったり干潟や沼地を干拓するなど新田開発を進めたりして農地面積を増やし、米の生産量を増やしたと、中学校社会科の歴史で習う。新しい学習指導要領に基づく2020年検定の教科書を見ると、江戸幕府の支配のもとで戦乱のない時代となって人口が増加したことに対応したとか、幕府や藩が年貢を増やすためであったとか、教科書によって記載内容は多少異なるが、概ね同じようなことを習うことがわかる。
 中学校社会科の地理の教科書を見ると、日本の川がつくる地形の特色の節に、川や海沿いの平地よりも一段高くなっている土地を台地といい、水が得づらく水田がつくりにくいために、畑や茶畑に利用されたり、住宅地として開発されたりしていることが記されている。
 こうした学びの例が、勤務先の周辺にも存在している。勤務先は大阪湾と瀬戸内海に面する台地の上に位置していて、現在の住居表示は神戸市西区伊川谷町有瀬であるが、江戸時代は播磨国明石郡漆山新田村であった。『角川日本地名大辞典28兵庫県』によれば、この村は1877(明治10)年頃に生田村と合併して有瀬村となったが、漆山の名は、いまも自治会や消防団、バス停留所などの名称に見かける。
 10年ほど前、地元出身のゼミ生が紹介してくれた農家の方から、大学の近くに、使われなくなった江戸時代の用水路が子どもの時の風景のままに残っていると聞いた。伊川谷掘割(いかわだにほりわり)といって、『明石市史上巻』(1960年刊行)に記載がある。松平日向守信之が明石藩主として治めていた1671(寛文11)年に、生田村の庄屋と年寄が開削した。神戸市西区伊川谷町前開に位置する石戸神社に面する太山寺川(伊川(いがわ)のこと)に設けられた堰から、生田にあった庖丁池(現有瀬小学校)、伊川谷町潤和の赤羽地区の平池に水を注ぎつつ、明石市太寺にあった新池に入る5622メートル(3092間)の灌漑用水路であった。
 その頃ゼミ研究で取り上げて、学生と歩いたり、かつての農業水利団体の関係者を探し出して話を聞いたりした。その後、フィールドワーク中に面識ができた伊川谷の歴史に詳しいベテランの案内で、取水口から水路沿いを自転車で走って掘割の位置を教えてもらったり(写真1)、地理学の研究者数名で取水口から明石まで水路沿いを踏査したこともあったが、いろいろ難しく、研究は頓挫してしまった。

写真1_20140502前開掘割跡DSC09892.jpg写真1 案内されて知った前開地区での掘割の跡(2014年5月撮影)

 かつて農家の方から伺った場所を久々に訪ねてみた。現在は水が流れることのない水路沿いの道は草が刈られてあって、初めて見た時と印象は変わらなかった(写真2)。生田のお宮のそば、県道を横切って続いていたことであろうコンクリート製水路も健在であった(写真3)。

写真2_20230108大学近く掘割DSC00685.jpg
写真2 以前と同じ風景が残るといわれた場所を久々に訪ねてみた(2023年1月撮影)

写真3_20230108生田掘割DSC00685.jpg
写真3 掘割は奥から手前までの直線部分(2023年1月撮影)

 『明石市史上巻』を引用した記載が『明石市水道史』(1991年刊行)にある。明石市が近代水道を創設するために中島鋭治に設計を依頼し、中島が実地踏査の上で1920年に作成したものの、当時の明石市には高額すぎて実現しなかった計画案があり、その導水経路が伊川谷掘割と似ていることが指摘されている。なお、1931年に通水した明石市の水道水源地と浄水場は伊川が明石川に合流する付近に設けられ、浄水は掘割のすぐそばの台地上に設けられた配水場にポンプアップされて給水された。訪ねたところ、住宅地の間に掘割は残っていた。
 第二神明道路の大蔵谷インターチェンジのすぐ近くに、日向前というバス停留所がある。明石から大和郡山、下総古河へと転封された信之が古河で亡くなったことを伝え聞いた漆山の農民が建立したという供養塔が、その近くにある(写真4)。地元の方によって2016年に設置された説明板があり、信之が領地内の新田開発を進めたことが記されている。掘割のことも書かれていて、水路の概略地図も載っている。高地である漆山は掘割の恩恵を直接は受けられなかったが既に畑地開発されていたこと、今の供養塔が阪神・淡路大震災の前年に作り直されたこと、元の供養塔と同じ字体で文字が刻まれたこと、地震で被害を受けて復旧されたこと、元の供養塔が埋められてあることがわかる。

写真4_20230108漆山日向守供養塔DSC00685.jpg写真4 漆山にある松平日向守信之の供養塔(2023年1月撮影)

 信之の供養塔は生田にもある。他にも2地区にあるらしい。大学から近いこともあって、日向前バス停の名前の由来であり説明板もある漆山の方には、できるだけゼミ生を連れていくようにしていて、江戸時代から続く村の痕跡が大学付近に残っていることを知る題材の一つにしている。教職課程中学校社会科・高校地理歴史科教員免許の必修・選択講義科目を担当していることもあり、地理側からではあるが、歴史を学ぶきっかけが身近なところにあるという例として今後も伝えていこうと思っている。

参考文献
明石市水道部編集発行(1991)『明石市水道史』
黒田義隆(1960)『明石市史上巻』明石市役所

この記事へのコメント