「居心地のよい水場」を支える規範意識

野田岳仁(法政大学)


 フィールドワーカーにとって、調査の現場はいつも常識や自分の考えをひっくり返す驚きや感動を与えてくれる場所である。近頃は執筆中の書籍のテーマである「居心地のよい水場とはどのようなものなのか」を考えながら各地の水場を歩いている。

 近年、地域の湧水施設を公共の水場として観光や防災に活用するケースが急増している。具体的にいえば、それらを観光資源に活用する観光実践は、「アクアツーリズム」と呼ばれるようになっているし、防災用に活用する民間の井戸は「災害時協力井戸」に位置付けられるようになっている。すなわち、地域のコモンズであった水場は「公」に開くことが政策的にも強く期待されるようになっているのである。

 観光客が利用したいと思うような魅力のある水場を維持したり、災害という非常時にも誰もが安心して利用できるようにするには、「居心地のよい水場」をいかにつくるかが政策的なキーワードになっているようだ。

 「居心地のよい水場」を考えるうえで、印象に残っている水場は、長野県松本市の「公共井戸」である。


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写真-1  源智の井戸(20218月筆者撮影)


 松本市は観光や防災用に「公共井戸」を精力的に整備する自治体であり、その代表格である「源智(げんち)の井戸」(写真-1)など中心市街地だけでも20箇所の水場がある。なかでも観光客や市民から居心地のよい水場として高い評価が与えられているのが「鯛萬(たいまん)の井戸」(写真-2)である。

 松本市が整備した公共井戸は基本的には行政の管理下にあるが、地元町会と協定を結び日常的な管理を任せている水場もある。「鯛萬の井戸」もそれにあたるが、事情があって有志の3人が管理を行っている。

 水場の管理は想像以上に骨が折れるものである。1週間もすれば水槽に藻が生えてくるため、毎週1度は必ず12時間程度時間をかけて掃除する必要があるからである。「鯛萬の井戸」では、3人の有志によって毎週土曜朝4時半から入念な掃除が行われている。

 私が深く感動したことは、3人の有志の掃除にみられる規範意識にある。世話人的存在である男性によると、井戸掃除とは「水を守ること以上に人を守ること」だと話してくれた。この言葉の意味とは次のようなものだ。

 いうまでもなく湧き水は飲み水であるから、藻が生えないように水槽内を衛生的に保つ必要がある。それだけでなく、水槽の周りも滑りやすくなる。水を汲む際に足を滑らせれば事故につながる恐れもある。万が一事故が起これば、この井戸は使用禁止となり、無くなってしまうだろう。そして協定を結んでいる町会の管理責任も問われるかもしれない。

 このように考えると、毎週の井戸掃除とは義務感や一時の善意なんかで続けられるようなものではないことがわかってくる。かれらは、たんなるボランティア精神で突き動かされているわけでもないのだ。


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写真-2  鯛萬の井戸(20199月筆者撮影)

 調査も終盤に差し掛かった頃、親子連れが水遊びに訪れていた。すると、小さな子どもが水槽の端に登りはじめた。石板には水がかかっていて足を滑らせないかと、思わずヒヤリとして、かれらと顔を見合わせると、「滑らないように掃除していますから」と自信のある言葉が返ってきた。 その時、私は大切なことを教えてもらったように感じた。井戸掃除とは、「人の命を預かっていること」と同義であるということだ。 このような責任感と覚悟を持っていなければ「居心地のよい水場」は成り立たないというわけである。だから「鯛萬の井戸」は数ある松本市の公共井戸のなかでも、多くの利用者を惹きつけているのであろう。 政策的には、井戸掃除というと、たんなる労働力として人員を補充すれば事足りるのではないかと考えがちだが、それでは不十分であることも理解できよう。 子どもたちが安心して遊ぶことができ、誰もが居心地よく過ごすことのできる「鯛萬の井戸」を支えているのは、井戸掃除を担う3人の有志の規範意識にあるといえるのかもしれない。 かれらの実践は、「居心地のよい水場」をかたちづくるうえで大切なヒントを与えてくれているように思う。今後はこの規範意識をどのように次世代に継承していくのかが課題となるが、それを見守りながら、かれらの実践に学んでいきたい。

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